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JNRSメールニュース 第4号 (2015/12/01)

目次

(4−01)
KISS@RIKENの共同利用開始が近い
(4−02)
中國新聞で報道;青銅器のさび(緑青)を試料とするAMS14C 年代測定法の開発・有効性
(4−03)
戦後70年、ヒロシマ語り部としての日本放射化学会名誉会員の活動
 
 
 

 

(4-01) KISS@RIKENの共同利用開始が近い

 11月4-5日に、平成27年度KUR専門研究会「短寿命RIを用いた核分光と核物性研究」が熊取の京都大学原子炉実験所で開催された(世話人:柴田理尋氏(名古屋大)、小林義男氏(電通大)、大久保嘉高氏(京大炉))。研究発表の一つに、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の平山賀一氏による「KISSを用いた核分光実験」があった。
 KISSとは“KEK Isotope Separation System”の略称(愛称)であり、理研の仁科加速器センターに設置された元素選択型質量分析装置システムである。136Xeなどの重イオンビーム照射によって生成した短寿命原子核を、共鳴レーザーイオン化と質量分析をセットにして、分離・同定することができる。いいかえれば、核反応生成物のZ(原子番号)とA(質量数)とτ(寿命)を、同時に、いっぺんに決定できる。宇宙での元素合成のr過程の研究などへの実験的応用が期待され、他にも核構造研究、物質科学への展開もありうるとのことであった。
 KISSシステムの説明とともに、2015年度後半を目処にした共同利用の開始準備についても語られた。実験課題の相談も大歓迎であり【1】、既に10件の共同利用研究申請があるとのことであった。
【1】 KEK短寿命核グループ ウエッブサイト http://kekrnb.kek.jp
(YS) 

(4-02)中國新聞で報道;青銅器のさび(緑青)を試料とするAMS14C 年代測定法の開発・有効性

考古遺物が炭素を主成分として含む木片、骨など、あるいは低濃度ではあるが炭素を含む鉄鋼(鉄器)であれば、放射性14Cの測定で年代測定ができることはよく知られている。しかし、炭素を含有しない青銅器の場合は、適当な年代測定法がないとされてきた。
 2015年11月15日の中国新聞の科学欄は、青銅器の表面に生成する緑青を試料とするAMS14C 年代測定法が、名古屋大学の宇宙地球環境研究所(2014年9月までは「年代測定総合研究センター」だったが、10月より組織変更・改名された)の小田寛貴博士のグループにより開発されたことを報じている。銅鐸、銅矛などが普及していったとされる弥生時代の研究に資する手法としている。
 緑青は、銅または銅合金が環境中で酸素、二酸化炭素、水分、塩類などと反応し生成される銅塩の混合物である。塩基性炭酸銅が銅塩のひとつである。小田博士は、緑青に含まれる炭酸イオンに注目した。埋蔵青銅器が大気中に晒されていたときの二酸化炭素が緑青に固定されているということである。真空中250℃という比較的低温で試料を加熱することで、緑青だけからの二酸化炭素を取り出すことに成功した。
この手法の有効性の確認のために、1953年新品に交換された出雲大社・屋根金具から採取した緑青の生成期間を判定したが、1956~58年の妥当な結果を得ている。和歌山県日高川町道成寺に伝わる「鐘巻銅鐸」に付着した緑青から,3世紀半ばから4世紀初めと年代決定がなされたが、考古学的な検討による従来の結果と整合的であったという。
記事は、小田博士自身のコメントを以下のように紹介し結びとしている。「現状では実績が足りないが、弥生時代の銅鐸や、古墳から出土する青銅器の調査に広げていきたい。考古学の研究に役に発つのではないか」
この研究成果は、2015年3月第17回AMSシンポジウムでも発表されている【1】。
【1】 小田寛貴,塚本敏夫,山田哲也 「青銅器に対する炭素14年代測定の可能性―出雲大社本殿垂木先金
具の測定結果から―」.2015日本放射化学会年会・第59回放射化学討論会, 2B01(2015.9,東北大学)
小田寛貴、塚本敏夫、山田哲也、加藤丈典;「青銅器の14C年代測定の可能性と道成寺鐘巻銅鐸への適用」 第17回AMSシンポジウム、P-10 (2015.3,筑波大学)
(YS)

(4-03) 戦後70年、ヒロシマ語り部としての日本放射化学会名誉会員の活動

広島に原爆が投下された日からちょうど70年後の本年(2015年)8月6日に、本学会の名誉会員で2001年日本放射化学会賞・木村賞の受賞者【1】である佐野博敏氏による「私のヒロシマの記憶」と題する、質疑応答を含む2時間の講演が三鷹市公会堂さんさん館で行なわれた。
東京都三鷹市は、地球市民の視点から平和について考えることを目的として、南北問題、環境問題、グローバリゼーションなどをテーマに「地球市民講座」を毎年一回開催してきている。戦後70年の今年は、戦争の記憶や平和への思いを後世へつないでいくきっかけとなるよう、佐野氏に講演を依頼したとのことである【2】。
1945年、17歳、旧制広島工専1年生の佐野氏は、動員学徒として働いていた広島市の郊外で原爆に遭遇した。原爆の爆裂直後の広島市内を、御母堂を捜して歩きまわった体験を持つ。今は三鷹市原爆被害者の会の副会長でもある。
東京都立大学/首都大学総長を退任後は大妻女子大学に移られ、現在は大妻女子大学名誉学長であるが、本年7月には、その同窓会の主催・企画の特別講演「戦後70年 私のヒロシマ」も行なっている。佐野氏が放射化学討論会、放射化学会年会に出席しなくなり10年以上の星霜を経たので、ごく若い学会員にとっては、大学・学士課程の教科書として知られている「放射化学概論」(東京大学出版会(第3版)2011)の著者の一人(東京大学名誉教授・富永健氏との共著)としてのほうが、馴染みがあるかもしれない。佐野氏は、絵描き・俳人としての顔ももつが、本記事とも関連する「泳ぐ焼き魚」がなかでも有名である。悲しい絵であり、心に残る作品である。大妻女子大学の別の講演会「広島の回想と放射能との出会い」のホームベージで、鑑賞することができる【3】。
【1】 佐野博敏;放射化学ニュース、6号、1~9ページ (2002)
http://www.radiochem.org/rad-nw/rad_nw06.pdf
【2】 三鷹市ホームページ (2015.7.30)
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_press/053/053356.html
【3】大妻女子大学ホームページ
http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/news/2012/2012-1127-1711-4.html

(YS)